蔦屋重三郎の子孫はTSUTAYA?妻や子供についてご紹介します。
2025年大河は横浜流星さん演じる蔦屋重三郎の生涯が描かれる『べらぼう』。蔦屋重三郎は江戸のメディア王と呼ばれています。喜多川歌麿、葛飾北斎、滝沢馬琴などを見出した人で東洲斎写楽の浮世絵を出版した方なんです。蔦屋といえばTUTAYAを思い出しますが子孫が経営しているのでしょうか?妻や子供についても気になりますよね!
今回は、蔦屋重三郎とTSUTAYAの関係、妻や子供についてお伝えします。
蔦屋重三郎の子孫がTSUTAYAを創業した?【大河べらぼう主人公】
結論からお伝えすると、TSUTAYAの創業者は増田宗明さんであり蔦屋重三郎の子孫ではありません。
TSUTAYAの名前の由来は、増田さんの祖父が営んでいた置屋の屋号が「蔦屋」だったことから名付けられたとのこと。置屋とは「芸者や遊女とかかえている家」のことをいい、料亭・待合・茶屋に芸者や遊女を送りだす場所です。
TSUTAYAが蔦屋重三郎にあやかって名付けたという説もあるのですが、これは増田さんの知人がイメージアップのアドバイスをされたときに採用された後付け説です。
TSUTAYAと蔦屋書店の違いは?
TSUTAYAと蔦屋書店は同じTSUTAYAです。TSUTAYAは直営店舗が少なくほとんどフライチャイズ展開によるものです。
直営店舗を経営する本部カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)とそれに加盟する企業(フランチャイジー)の2つの関係があります。
フランチャイズシステムとは本部が加盟店に「TSUTAYA/蔦屋書店」の名前で営業してもよい権利を与え、直営店同様のサービスを提供します。加盟店は見返りとしてロイヤリティと呼ばれる対価を売上の一定額を支払います。加盟店は、「TSUTAYA/蔦屋書店」を選択することができます。
【NHK大河べらぼうの主人公】蔦屋重三郎に妻はいた?子孫の存在
蔦屋重三郎が結婚して妻がいたのか歴史上明確になっていません。
そのため子孫についてもあきらかになっていません。しかし、父は吉原の遊郭勤めで吉原生まれ、面倒見がよく人の才能を見抜く力を持っていたといわれているため人間的に魅力があってモテる人だったんじゃいかな?と思います。
蔦屋重三郎のプロフィール
1750年(寛延)2月13日~1797年(寛政)5/31年
肩書 浮世絵版元・プロデューサー
父:丸山重助、母:津与
出身:吉原
幼少期に吉原喜多川氏の養子となる
・1773(23歳)
吉原細見(遊郭のガイドブック)の販売権を獲得。
吉原細見の出版は鱗形屋が独占
・1775(25歳)
恋川原町・金々先生栄花夢が大ヒット
黄表紙誕生
鱗形屋海賊版出版で罰金刑
版元として吉原細見を読者目線に改革
序文を有名作家に書かせる
吉原細見を年2回刊行し自社出版物を宣伝する
・1776(26歳)
晴朗美人合姿鏡出版
・1777(27歳)
独自の店舗を構える
・1780年(30歳)~
鱗形屋消滅にともない吉原細見出版販売権独占拡大
浄瑠璃正本の出版
黄表紙出版
教育書と小説出版
・1781(31歳)
狂歌が流行し狂歌名蔦唐丸(つたのからまる)として、歌麿ともに吉原連に属する
・1783(33歳)
日本橋に移転
万歳狂歌集など歌の出版
・1785(35歳)
狂歌本・洒落本・戯作などを出版しベストセラーになる。
山東京伝の洒落本や黄表紙の独占出版
・1786(36歳)~
寛政の改革によって出版規制
吉原の不況
・1788(38歳)~
歌麿を絵師に教育し狂歌に絵をつける「歌まくら」など
錦絵出版本格化
政治風刺黄表紙(田沼意次失脚など)が大ヒット
・1790(40歳)
歌麿の美人画大首絵が大ヒット
・1791(41歳)
山東京伝の洒落本出版により財産一部没収される
・1794(44歳)
写楽の大首絵出版
・1795(45歳)
本居宣長を訪ね「手まくら」出版
・1797(47歳)
脚気により死去
まとめ
今回は蔦屋重三郎とTSUTAYAの関係に妻や子孫についてお伝えしました。
TSUTAYAは蔦屋重三郎の子孫とは関係ありませんでしたが、蔦屋重三郎の名前にあやかっていることが分かりました。また、結婚して妻や子孫がいたのかは明確とはなっていないのでプライベートでは謎の人物でもあります。2025年の大河でどのように描かれるのか楽しみですね!
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